ROVER MINI(ローバーミニ) インジェクション化

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1991年、時代の求めに応じて、またもやミニは変革を迫られます。しかも、ミニそのものの存続をかけた大きな変革でした。

当時、EC統合へ向けたエミッション・コントロール(排ガス規制)が1993年から施行されることが決まり、もはやキャブレター仕様のままでは、新規制の厳しい基準をクリアすることが不可能となったため、それまでは聖域でもあるかのように見直されることのなかったAシリーズ・エンジンの燃料供給装置が、インジェクションへと変更されたのです。

このエミッション・コントロールの話が確実になった当初、ローバー・グループは規制実施後のミニの存続に関しては何もアナウンスせず、ミニ・ファンの心配はかなり大きなものになっていましたが、1991年も後半になって、ようやく前述のような燃料供給装置のインジェクション化を発表し、ミニの存続が確定。

ミニ・ファンもホッと胸をなでおろし一件落着となったわけですが、このローバー・グループの大英断がなかったら、今まで脈々と続いてきたミニの歴史もこの時点で確実に終わっていたでしょう。

ミニ・ファンのミニへの思いを裏切ることのなかった、このローバー・グループの決断。今更ながら、「すごいことだったんだなぁ」と思わずにはいられませんよね。
posted by MiniMaster | ミニ(MINI)の歴史

ROVER MINI(ローバーミニ)

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1969年10月にマイナーチェンジを受けMk-Vとなって以来、年毎に細かな改良を施されてきたミニですが、1984年10月、新たな変革の時を迎えます。

一番の変更点は、それまで一種独特のホイールサイズとして踏襲してきた10インチホイールを12インチにしたことで、乗り心地や室内の静粛性が大幅に改善されたこと。

またこの変更に合わせ、それまでは四輪ともドラム・ブレーキであったのを、前輪はディスク・ブレーキに変更したこともミニ史上の大きな進化となっています。

この12インチホイールを履いたミニは、当初ミニ誕生25周年を記念して”MINI25(ミニ25)”の名称で発売されましたが、翌年の1985年にはミニの輸入ディーラーが日英自動車からAustin Rover Japan(オースチン・ローバー・ジャパン)へ移ったことから”MAYFAIR(メイフェア)”という名称で販売されるようになります。

そして1988年、ラインアップに廉価限定モデルとして登場した”SPRITE(スプライト)”が加わり、翌年の1989年にはARG(オースチン・ローバー・グループ)がRG(ローバー・グループ)へと社名変更したこともあって、これらのモデルを総称して”ROVER MINI(ローバーミニ)”と呼ぶようになったのです。
posted by MiniMaster | ミニ(MINI)の歴史
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